文化環境の幅、内容、その環境改善


量より質というより
有名( 沢山の人たちに聴いて貰える。数字↑が要となる世界でもある。)
そればかりが良い。という見方ではなく( それも時と状況次第必要ですが )

マイナーエリアでも 感性を究める伝える姿勢も
混雑した文化ならもっと必要なのではないかなと感じます。

音楽、表現などはメジャーでなければ意味が無いという見方をしてしまう子供も出てくる。

もっと表現感性を発揮するに幅があり、
メジャーでなければならないと'' だけ 限られた範囲だけアップしたような文化表現社会であっては

ある範囲の機能不全は発生するのではないかと。
( メジャーを否定したわけではないです。メジャー目指したい人は
その目的も素敵です。沢山の人たちに伝えることができる。)


表現にさまざまな幅がもっとありその環境改善、表現環境設置がこれからは必要なのではないかと。

数年前、文系女子から受けたアドバイス



一番の歌詞、メロディ、歌を
作り
見知らぬ他者が聴いて

その人が、意識の中

二番を作詞、作曲して
うたっていて

しかし、一番の作詞とは
全く違う異端な
独特の表現。

そういうバトンを与えるような
表現をネットでなさいと

かなり文章力達筆な
文系女子から
数年前、アドバイスを受けました。

私たちに、人の心を掴む
表現性が乏しくても

バトンした人の中には

人に感動を与える、革新を
与える表現性を発揮する人は
出て来るのだから

( 昨年、4月記入

書道で学んだ


◆** ★ 念押し


表現域は、わたしは

例えとして合ってはいないのかもしれないけど、
その表現の
神格のような 気 エネルギー
姿に 触れなければ

入り込めない。

これは、書道で後半、学んだ
表現力、芸術の 骨の髄 の気に触れてしまった
ありがたい域の、後遺症なのかもしれない。

後半の書は、 修業、範囲でした。
楷書、隷書だったから。

好きで、書を習わなくても、その気、芸術性には
触れます。

表現性の中には、難しい雰囲気はなくても、
その範囲の気を 求めてしまう。

イラストには、そんな風な気を感じる。
漫画タッチでも


( 昨年、4月記入