◆雑念多く流され日曜画家程度では掴めないタイプ

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私のようなタイプは、日曜画家的な時間配分程度では、
その深さは掴めないのかもしれません。奥義などは長い時間接さなくても内容と接し方、掴み方次第(これは熟練された人ですね。)

内心にある情報をダウンしたいカットしたいと思うのは、あまりに日常生活に必要な内容に、
例えば健康に関した内容を、納得する内容を見つけるまで、検索読みし、
また、やはり家事に関した内容が
気になり、家事や、日常生活の事柄から、解放する内容を取り入れようと探すのは、
良い事なのかもしれませんが、

その内容は、目立たない地味範囲でありながら
意識を使うエネルギーは、弱くはないのです。

それで、創作表現性のエネルギー、表現性を奪い乱す場合がある。
(そうは、ならない人たちも居るかと思いますが)

私は、社会的内容に取り組めば、
その範囲、内容に強く、意識を奪われます。意識中、印されていたり。

しかし、指摘啓発は、必要だとしても、
それが自他共に、酷使合うだけの時間、内容ならば 離れ

外してしまうかもしれないけれど、アマチュアでも

自他共に、治癒力を促すもの、または与える物を探し追求、取り組んだ方が善いと、考えたというより、
感じました。

治療を受けて来た先は、重症域の人たちが治療を受けて来た場所。

その体験からも、実存兼ねて、必要、必然な範囲が在ると強く感じて来ました。

例えば、医療職は、職業、仕事ですが、熟練される過程とは、
その場所、内容に、一週間のうち、6日はその時間、場で経験を受けて、熟練、技術が身につく。

マチュアであろうが、クリエイター範囲も、それくらい深く日常生活に取り入れなくては、

雑念も多い私は、他の事にすぐ、流されてばかり来たようです。

しっかり結び、繋ぐ、きっかけを
失って来た